年 ▼ できごと 写真
2002年 12月 25日 10歳
サンタクロースにゲームキューブをお願いした結果、手に入れることに成功した。同時に購入したソフトは「大乱闘スマッシュブラザーズDX」。 #   ★ 0
2002年 - - 9歳
「ロックマンエグゼ」シリーズが周囲で爆発的に流行し、私もそれに乗り遅れまいとしてシリーズが出るたびに購入、通信対戦に明け暮れた。このようにゲームプレイを通じたコミュニケーションは、私の周囲ではポケモンよりもこのロックマンエグゼにより成立していた。 ロックマンエグゼは小学校6年(2003年度)まで周囲での流行が続き、同級生の間でちょっとした対戦大会が開催されることもあった。私は所謂「エンジョイ勢」のなかでは強いが「ガチ勢」と当たると瞬殺されるような地位に居たため、半端にプライドは高くしかもそれを折られるような敗北を度々経験し、この手のゲームの対戦に複雑な感情を抱いていた。 #   ★ 0
2001年 3月 21日 8歳
ゲームボーイアドバンスを発売当日に購入。同時に買ったタイトルは「スーパーマリオアドバンス」。 #   ★ 0
2001年 - - 8歳
「風来のシレン」をプレイする際に購入した攻略本のなかに、制作スタッフのインタビューが巻末に載っているものがあり、それを読んで初めてゲームの製作者側というものの存在を意識するようになった。 #   ★ 0
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2001年 - - 8歳
友人の家でプレイした「風来のシレン2 鬼襲来!シレン城」を気に入り、借りてプレイする。 これを機に一時期シレンシリーズに熱中し、当時発売されていた他のシリーズタイトルも購入してみたものの、ローグライクの特質であるランダムなダンジョンと冒険の度にリセットされるステータスの2点に面白さを感じられず、ジャンルとしては好きにならずに終わってしまった。ただし、ストーリーのエンディングまでの段階では装備の強化やアイテムの持ち込みといった一般的PRGとしての面白さがあったため、どのシリーズもエンディングを見るところまではプレイした。 #   ★ 0
2001年 - - 8歳
「ZOIDS」を好きになったので、次に発売されたZOIDSのゲームタイトル「帝国VS共和国 メカ生体の遺伝子」(PS)を、PS1と共に購入。当時のZOIDS公式ストーリーと違う80年代のZOIDSストーリーに準拠したゲームで、ゲームのストーリーにも登場キャラクターにも全くついていけず、こんな代物を宣伝するコロコロコミックは何なんだと憤った。このあたりで、自分のような子供以外を対象にしたゲームが存在することに気付く。 #   ★ 0
2000年 - - 7歳
当時アニメが放送されていたホビー「ZOIDS」のゲーム「邪神復活!ジェノブレイカー編」(GB)をプレイするも、自分と敵のレベルが連動するデザインに苦戦し、早い段階で挫折。このゲームは隠しステータス等の子供には理解しにくい仕様が多く、それらを通じて私は「不親切なゲームというものも世の中には存在する」ということを知った。 #   ★ 0
1999年 11月 22日 7歳
発売前から少年誌等で話題になっており発売情報を掴んでいた「ポケットモンスター 金・銀」を予約し発売初日に両バージョンを購入。この頃になるとバランスを考えたパーティを作ることを学習していたので、挫折せずに進めることができ、初めて自らの手でゲームのエンディングというものを見ることができた。しかし、ポケモン図鑑を埋めるというやり込み要素まではコンプリートすることはできなかった。 #   ★ 0
1999年 5月 - 7歳
当時CMで話題になっていた「ピカチュウげんきでちゅう」を見て姉と共に親に購入をせがみ、Nintendo64と共に購入。 #   ★ 0
1998年 4月 - 6歳
小学校への進学祝いに、「ゲームボーイライト」と「ポケットモンスター(初代)」を買ってもらう。 姉が既に緑バージョンを買っていたため赤バージョンをプレイ。 パーティをバランス良く育成してエンディングまで進めることができた姉とは対照的に、1匹を集中的に育てていた私は途中で挫折し、実は現在でもこのロムでのクリアは未達成である。 #   ★ 0
1997年 - - 4歳
保育園の友達から「ポケモンっていう超楽しい遊びがある」と教えられ、初めてビデオゲームという存在を知る #   ★ 0
1992年 3月 28日 0歳
誕生。生まれた時から家にはファミコンとスーパーファミコンがあり、家族がスーパーマリオ等をプレイするのを横で見ていたが、それをゲームとは認識していなかった。 #   ★ 0
場所:千葉県