hirosh

人生レベ上げ

年 ▲ できごと 写真
1970年 - - -1歳
京都太秦にて生まれる。映画村の近所なのでちょんまげ侍や素浪人に囲まれて育つ。 #   ★ 0
場所:京都
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1975年 - - 4歳
幼稚園時代:友達に自慢しようと、急な坂道を自転車で駆け下りていくとき、ブレーキが利かないことをとっさに悟った博少年は、そこで勇者ライディーンの「フェード・イン!」を試みて手をクロスさせたところで、そのまま病院にフェードイン。気がついたら脳外科のベットに。そこから自分の天才性に目覚める。 #   ★ 0
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1975年 - - 4歳
(母親談)まだ幼稚園ごろかしら。新聞を逆さにもって必死に読んでいのよねー。そうそう、それが理由かわからないけど、自分の名前をひらがなで書くときに全部左右が逆さまになっていたわ。変な子ね。 #   ★ 0
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1977年 - - 6歳
終業式の帰り道。段ボールにいれたロッカーの荷物が重くて、何度、一生のうち一回しか使えない「ワープ」を試そうとしたことか。でも、いまだに使っていない。 #   ★ 0
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1981年 - - 10歳
はじめて買ったレコードは伊藤つかさの「少女人形」 #   ★ 0
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1984年 - - 13歳
ドラムセットをゲット。経験値が80アップ。ジャズのビッグバンドにてスィングを学ぶ。グレンミラーを知る。 #   ★ 0
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1984年 - - 13歳
中学生なのにタバコをすっている茶髪先輩達が突然やってきて、「ドラムできるそうじゃねーか。俺らとバンドやらねーか?」真摯にオファー。バンドメンバーに抜擢。アナーキーやスターリン。キヨシローなど、そのうち矢沢まで幅広く活動。 #   ★ 0
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1984年 - - 13歳
8ビート全盛時代。板きれや辞書をドラム代わりにたたいて練習。頭が悪くなったのは辞書の怨念のせい。 #   ★ 0
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1984年 12月 - 14歳
母校の小学校の体育館で初ライブ。トリをつとめたが、95%会場を埋め尽くしていた老人たちが演奏始まると同時に出口に去っていくのをドラム越しにみる。そしてパンクの良さを知る。 #   ★ 0
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1984年 12月 24日 14歳
先輩らが卒業と同時に解散。最後のクリスマスライブは、先輩の家で。ドラムないので、辞書たたく。 #   ★ 0
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1986年 4月 - 16歳
軽音楽部にはいる。ヘビメタ野郎に囲まれて無事バンド結成。レインボー、ディープパープルとか、全部初耳。いきなり洋物ロックの世界へいざなわれる。ジャンルの幅が広がり25%アップ。 #   ★ 0
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1986年 5月 - 16歳
ヘビメタやるならこれ。と別バンドのドラマーが教えてくれたのが「これ?和太鼓用ですか?」というくらい極太のスティック。ごまする用のすりこぎくらいのやつ。とりあえずゲット。−10%レベルダウン。 #   ★ 0
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1986年 6月 - 16歳
悪のりして、鉄製のスティックゲット。これでうまくなるはずもなく、ライフ30ポイント削る。指が痛くなる。 #   ★ 0
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1987年 - - 16歳
バンドメンバーの天才ギタリスト(今でも現役)に誘われてサッカー部入部。後輩をいじめたとかで連帯責任でやめさせられる。 #   ★ 0
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1987年 - - 16歳
バンドのボーカルに誘われてハンド部入部。なぜか兼部率の高い軽音楽部。演奏会以外暇。 #   ★ 0
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1987年 - - 16歳
中学校時代の友達に誘われて、大学生のディスコパーティで六本木withに。入り口で追い返されないかと、偽装した生年月日と干支を知人と復唱しながら向かう。無事潜入。味をしめ、ここからディスコ人生の幕開け。経験値230ゲット #   ★ 0
場所:六本木
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1987年 - - 16歳
その後、六本木や渋谷のディスコですら、入れない日々が続く。そして流れ着いたのが新宿のThe Disco東亜会館。どの階かは内緒。 #   ★ 0
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1987年 - - 16歳
ディスコいりびたり。お昼のお弁当代をためて、ディスコがよい。高校よりもこっちの仲間と遊ぶ時間のほうが圧倒的増える。 #   ★ 0
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1987年 - - 16歳
80年代の音楽にはまる。後にも先にもここを超える音楽体験はないほど。ここから70年代やヨーロッパ系に行く。NEW ORDERが真ん中。 #   ★ 0
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1987年 - - 16歳
ちょうどバブル終盤。折しもディスコブーム。プールバーなんかもはやる。バンプ終わってパラパラ全盛。ブレイクダンス前夜。渋谷六本木にも懲りずに進出。敗北したときは新宿に戻る。を繰り返す。 #   ★ 0
場所:新宿
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1988年 - - 17歳
バンドもトラ参加が増え、あちこちのバンドを点々とする。同時にヘビメタから、ポップ、ビートルズ、コミックバンドまで幅広く参加。特に歌いも演奏もしない鳶職のメンバーを投入して存在感を醸し出したバンドが異色さを放ち、ローカルにややうけ。 #   ★ 0
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1988年 3月 - 17歳
卒業ライブは渋谷のラママ。なぜかギターで参加。高校音楽生活終着の地はビートルズ。誰もが通過する場所であり、一巡してしまった感もあり、これでしばらく音楽から遠ざかる。 #   ★ 0
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1989年 - - 18歳
アメリカに渡米。初日に、その日帰国するはじめて出会った日本人に質問「何か学べました?」すると一言「なんとかなる。ということは学べた」と。日本で自閉症で登校拒否児だった、彼の物静かな一言はいまでも思い出の一言。名前すら覚えていない。 #   ★ 0
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1989年 - - 18歳
日本人留学生とはあまり接触しないようにしてたので、結構孤独な大学生活のはじまり。 #   ★ 0
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1989年 - - 18歳
このあたりから、自分の血や細胞組織が入れ替わるように、いろいろな価値観やものの味方に変化が生まれる。「なんとんかなる。ということを学ぶための時代」 #   ★ 0
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1989年 - - 18歳
入るや否や、アサインしていた学部の教授から「あなたの学部はもう2年でなくなる」と言われて、「教授の授業を受けるためだけにここに来たのにーー!」と渾身のプレゼン。ジェネラルコアを2年飛ばして、メジャーに入れて貰う。ここで「なんとなかる」スクロールを入手。 #   ★ 0
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1989年 1月 - 18歳
お世話になっていたホームステイ先で、旅程を間違えてしまい、家族がいない家にひとり取り残される。一日中MTVでボビーブラウンの踊りをみていたら、昭和天皇の崩御。 #   ★ 0
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1989年 1月 - 18歳
はじめてのニューヨーク。それは治安の一番悪い時代。見る人全部脳内ギャング。むっちゃビビリながら、小さい日本人マンハッタンを行く。 #   ★ 0
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1989年 1月 - 18歳
フィラデルフィアで、CASIOのカメラを買う。ユダヤ人系の悪徳な商人にだまされて、壊れているカメラを売りつけられてしまう。日本のものを外国人に売りつけられるなんて、かなりショック。少し強気な生き方を学ぶ。 #   ★ 0
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1990年 - - 19歳
ルームメートで同じ学部生(飛び級している)のお陰で、常にAを貰う。それ以外の授業はかなりひどい。そんなルームメートが最後の一年をクゥエートかどこかに留学。強力な助っ人が去ってしまい、戦力80%ダウン。 #   ★ 0
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