kentaro

2002年から海外の試合に出始め現在はシンガポールをベースに、アジア各国、インド等にも活動範囲を広げているプロゴルファー。

年 ▼ できごと 写真
2005年 3月 21日 27歳
シンガポール日本人向けメ デイア、 ASIA-X のコラムに ゴルフ南遊記 をスタート。 http://www.asiax.biz/column/golf/ #   ★ 0
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2005年 - - 27歳
ピーターシニアゴルフアカデミーに入り、左足1軸打法を習うが、アジア人には無理だと悟る。 方向性はよくなるが、距離も出なくなるし球も低くなる。圧倒的なパワーが有れば別だが・・・ #   ★ 0
場所:シンガポール
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2004年 10月 - 26歳
イギリス人の心理学の先生について、心理学を学ぶ #   ★ 0
場所:シンガポール
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2004年 9月 7日 26歳
SBF Challenge で3位に入る #   ★ 0
場所:シンガポール
2004年 8月 - 26歳
デビットレッドベターアカデミーに入る。 #   ★ 0
場所:シンガポール
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2004年 6月 - 26歳
ある試合で、優勝争いをしたが,残念ながら負ける・・・自分のスイングが悪いと思い込み、スイング改造に着手。ここからが地獄の始まりだった #   ★ 0
場所:マレーシア
2004年 4月 - 26歳
スポンサー、賞金等の金銭面のやり取りが便利になるようと,LUCKYSTONE G&Sを設立 #   ★ 0
場所:シンガポール
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2004年 3月 - 26歳
お世話になったYUJIGOLFを辞める #   ★ 0
場所:シンガポール
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2003年 12月 - 26歳
1年ツアーを戦って来て、ある程度手応えをつかむ、トップ10も何回か経験する。英語も徐々に喋れるようになる #   ★ 0
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2003年 8月 - 25歳
以前から取り組んでいた筋力トレーニング、様々な努力のおかげか、飛距離がものすごく出ていた。あるアジアの試合で340メートルというレコード残す。 この頃、”アジアで1番飛ぶ男’と呼ばれていたとかいないとか・・・ #   ★ 0
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2003年 5月 - 25歳
その年のマレーシアツアーの資格を取り参戦。シンガポールの試合にも同時に参戦。英語がわからずに、失格に成った事が1回、処置がわからずにペナルテイーを受け順位を落とした事数回と悔しい思いをする #   ★ 0
場所:マレーシア シンガポール
2003年 4月 - 25歳
念願の海外生活をシンガポールでスタート! #   ★ 0
場所:シンガポール
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2003年 1月 - 25歳
ふたたびYUJIGOLFを訪れ、雇ってもらえないか交渉。OK をもらう。 #   ★ 0
場所:シンガポール
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2003年 1月 - 25歳
アジアンツアーの予選を受けにアジアへ・・・アジアの固い地面のせいで以前疲労骨折した箇所がまた痛みゴルフにならなかった。 #   ★ 0
場所:マレーシア
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2002年 11月 30日 25歳
以前から痛みが出ていた腹を調べてもらうと、盲腸との診断。手術を受ける。医師からはよくこんなになるまで耐えたね・・と腫れ上がった盲腸を手術後見せられる。 #   ★ 0
場所:千葉県 
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2002年 11月 - 25歳
日本に戻り、研修生生活にピリオドを打つべく辞表を出す。 #   ★ 0
場所:茨城
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2002年 10月 12日 25歳
試合の後、以前から下調べして,コンタクトを取っていた人たちと会い、必至に自分の熱意を語る・・・その中に、後のボスと成る、YUJIGOLFの社長もいた。 #   ★ 0
場所:シンガポール
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2002年 10月 10日 25歳
シンガポールPGAをトップで通過!! 念願のPGAの資格を取り、胸を張ってプロと言えるようになる。 #   ★ 0
場所:シンガポール
2002年 10月 7日 25歳
シンガポールに飛ぶ、海外の慣れない芝に手こずりながらも練習ラウンドを繰り返す #   ★ 0
場所:シンガポール
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2002年 9月 - 24歳
3試合目で見事勝った! これでシンガポールに行けると20万片手に喜んだ!! #   ★ 0
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2002年 8月 20日 24歳
PGAが有るのはわかったが、問題なのはお金がない。飛行機代すら出せない(涙)口座の残高は5万円。そこでシンガポールPGAエントリーだけ済ませこれからこの5万で出れる試合に全部出て、優勝してやろうと決意。ミニツアーで優勝すれば20万がもらえるからだ。そうすれば飛行機代、ホテル代すべてカバーできる。 #   ★ 0
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2002年 8月 - 24歳
実力が有っても、PGAがなければプロじゃないのか!と世間に対して突っ張ってみせる。日本のPGAは年に1回しか無い為、翌年まで待たなければならない・・自分には時間も金もないと,それならば海外のPGA取ってやろうと、調べまくってシンガポールPGAが10月に有る事を知る。 #   ★ 0
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2002年 8月 - 24歳
JGTOクオリファイに出ていた為(2次を通過すると基本プロゴルファーとなる)、サポートを受けていたメーカや試合先では、プロと呼ばれて,ゴルフ場に戻ると研修生と呼ばれる事に違和感を覚える。本人はプロとして自覚しているのに,PGA資格がないために研修生と呼ばれ、やり場のない暗礁感と苛立ちを覚えるようになる。 #   ★ 0
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2002年 8月 - 24歳
必至にやってきているのに結果がでない日々が続く。サポートしてもらっている人にも、才能があるのは認めるが、運がないと言われ、三行半を渡される。くやしい・・ #   ★ 0
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2002年 8月 - 24歳
JGTOクオリファイ 2次通過するが、3次でまたコケる。原因は疲労骨折。クラブを振ったらボキッと音がしてその場でうずくまってしまった。 #   ★ 0
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2001年 8月 - 23歳
パターが入らないのは目が悪いせいだと思い込み、レーシックを受ける。よく見えるようになるが・・・ #   ★ 0
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2000年 8月 - 22歳
JGTOクオリファイを1次をトップで合格、2次も無事通過するが,3次でこける。 #   ★ 0
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2000年 6月 - 22歳
日本PGAを最終で落ちる #   ★ 0
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2000年 5月 - 22歳
研修生生活の中、仕事は休めるだけ休んで,休みをすべて試合にあてていた。研修生生活でもらえるお金(5〜8万)は試合に出るエントリーフィーにすべて消え、賞金が稼げなければ、飯も食えない状態を続ける。 #   ★ 0
場所:茨城
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2000年 5月 - 22歳
研修生になってからは,筋トレと球うち,ラウンドに今まで以上に明け暮れた。血尿が出るまで頑張ると心に決め、見事血尿を体験(バカ)本当に筋トレに明け暮れた。ベンチプレスで105キロを上げれるように成った。 #   ★ 0
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