shinobu_kaki

みんなそれなりになんかある、ってのが面白い。随時更新。

年 ▲ できごと 写真
1972年 3月 7日 0歳
視界360度の田園風景に囲まれた寒村の旧家に長男として生を受けたっぽい。 #   ★ 0
場所:秋田
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1978年 4月 - 6歳
小学校入学。神童の名をほしいままにしたかもしれない。 #   ★ 0
場所:秋田
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1984年 4月 - 12歳
中学入学。なぜ柔道部に入ってしまったのかは、わからない。 #   ★ 0
場所:秋田
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1987年 4月 - 15歳
高校入学。なぜ登山部に入ってしまったのかは、わからない。 #   ★ 0
場所:秋田
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1989年 - - 16歳
高校の美術の授業、10分間のクロッキー。デッサンではなく短時間でモデルの形を捉えるという内容だったのだが、当時の担当教師である掛札という玄関先にありそうな名前の先生に絶賛されたのが今に至る勘違いのもとであったのだろう。僕は小学生からキャンパスノートに自作のマンガを書いて友達にあげたりしていたので、こういうのはお手の物だったのである。 #   ★ 0
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1990年 3月 - 17歳
高校卒業。 #   ★ 0
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1990年 4月 - 18歳
さりとて深い決意もなく、仙台にある2年制の学校へ入学。今思えばイラストレーションコースだったのが不思議でもある。当時の同級生で、自分と同じ業界に入っている人間はほとんどいないはずだ。授業に行くよりもバイトの比重が高かった2年間を杜の都で過ごす。愛車は友人から2万円で譲り受けた黄色いジョグ。平均睡眠時間は11時間。 #   ★ 0
場所:仙台
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1992年 3月 - 19歳
仙台から友人の運転するレンタカーで引っ越し。新居となるボロアパートのある二子玉川に着いたのは深夜。住宅街の隘路に迷った友人が運転を誤り、レンタカーをこすって傷をつけてしまったのが上京して最初のセレモニーとなる。雨の中へとへとになって到着。だんだん元気になって部屋で2人でTVを見ながら盛り上がっていると、いきなり隣人の坊主頭の寿司屋の板さんに「うるさい!」と怒鳴り込まれる。東京は怖い街だと思った。 #   ★ 0
場所:世田谷区二子玉川
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1992年 4月 - 20歳
「君は、東京に来て、ウチの他に何社か面接を受けているのか?」「いえ、御社だけです」というイヤがらせのような「後がない」感を漂わせる純朴な地方出身の無力な若者、というキャラクター戦略で面接を成功させ、新富町にある小さな制作会社に入社。ここで5年ちょっとという思いのほか長い日々を過ごす。デザインチーフのO橋さんは痩身長髪にサングラスという、今思えばみうらじゅんそっくりな風体をしていた。7人ほどの小さな会社だった事もあるが、同年代の同僚と呼べる人間がいなかったことが僕を外飲みの傾向へと走らせたことは想像に難くない。 #   ★ 0
場所:新富町
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1999年 - - 26歳
社長の逃げ腰にのらりくらりと半年ほどかわされ、やっとの思いで円満退社。在籍中にこっそり10社ほど面接して、ほぼすべての会社にOKをもらったのはびっくりした。その中でもっとも給料が良かったのと、やりがいのありそうなメジャーな仕事が多かったという理由で芝浦の制作会社へ。辞めた翌日から入社したのだが、少しは休むんだったと後悔。入ってすぐに徹夜の日々を迎えた。主にアナログなデザイン作業を主戦場としてきたせいでMac作業をイチから覚えながらという感じで四苦八苦&七転八倒の日々。思うところあって4年半の勤務のあと退社。最初の会社と違い、同年代の魅力的な同僚に恵まれたのは自分の財産といえよう。昼夜逆転に近い勤務時間ゆえ夜遊び傾向が深化していった時期でもある。 #   ★ 0
場所:芝浦
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2000年 - - 27歳
高津の住まいを1年半ほどで引き払い、いきなり恵比寿(住所は広尾2丁目)の賃貸に引っ越す。九十九ラーメンやプライムスクエアのあたりの裏手。引っ越したのは会社の住宅手当制度が理由として大きいが、外食・飲み歩き好きな一人暮らしの男性が住まうには恵比寿は快適すぎた。ここでは6年ほど住んだな。友人たちとの出会いもあり、享楽的で愉しき日々を過ごす。徒歩3分にスポーツジムがあり、本当によく通った。休日の午後にジムで汗を流し、友人と約束して6時頃から飲みに行くというパターンが好きだったな。どこに流れてもタクシーですぐ帰れるという、都心住まいの大きなメリットをばっちり享受していた。さらに、一人の休日に自転車で都内を走るのも好きだった。今でも東京都心の感じは大好きだ。 #   ★ 0
場所:恵比寿
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2002年 10月 - 30歳
約1ヶ月ほどの「無色」期間を経て、青山の制作会社に勤務することに。就活の方法は、求人の載っていた「コマーシャルフォト」のバックナンバーをとにかくかき集め、過去に求人を出していためぼしい会社をピックアップして当たるというもの。その時にたまたま求人が出てなかったとしても、自分がその会社にとって欲しい人材なら場合によっては採用してくれるだろうという見込みだった。結果、それは正しかったわけだけど。 #   ★ 0
場所:南青山
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2006年 3月 - 33歳
大田区、多摩川からほど近い家へ引っ越し。新築の3階。友人に車を出してもらう。荷物やら何やらさっぱりして、出直し感のあるイベントと言えた。終わってからみんなで二子玉川ドッグウッドプラザのカレー屋「moti」で晩ご飯。ドッグウッドプラザ自体もうなくなったけれど。 #   ★ 0
場所:多摩川のそば
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2007年 7月 7日 35歳
あまりにベタかと思いつつも記憶に残りそうなのとなんかいいコトありそうな777にちなんで七夕入籍。だが大田区役所は同じ目論みの男女で混んでいた。入籍手続きの後は広尾筑紫楼でメシ。フカヒレ、中華菓子がやたらと美味かった。 #   ★ 0
場所:東京都
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2007年 9月 - 35歳
ワイハーにてちょっとミーハーに結婚式。ホテルはモアナサーフライダー・ウエスティンリゾート(http://jp.moana-surfrider.com/)、チャペルはヌアヌコングリゲーショナル教会(http://www.nuuanu.org/)。暑いけどカラッとして風の気持ちいいハワイの気候に惚れた。海外旅行にハワイだなんて、行く前は町内会の福引き一等賞のイメージがあって正直侮っていたのだが、行ってみるとすっかりファンになってしまい、次回も行くならハワイだネなんて手のひらを返す発言をするようになる。ちなみに行きの飛行機の中に、用意していった村上春樹の文庫本「中国行きのスロウボート」を忘れる。お陰で滞在中の読書に事欠くようになってしまい、アラモアナショッピングセンターの書店で芥川賞受賞作「アサッテの人」が掲載された文藝春秋ほか数冊を買ったのは良い思い出。滞在したホテルの中庭、波打ち際近く、大きなバニヤン・ツリーを囲むようにあるビーチバーは僕の楽園のイメージそのままでもあった。 #   ★ 0
場所:オアフ島
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2008年 8月 - 36歳
娘、誕生。生まれた時からタレ目ちゃん。パパは初日というか生まれた直後からすでにメロメロであることを助産士のみなさまに看破される。 #   ★ 0
場所:多摩
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