人 | 年 | 月 | 日 | 歳 | できごと | 写真 |
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2002年 | 4月 | - | 15歳 | - | ||
2000年 | 12月 | - | 13歳 | - | ||
2000年 | 4月 | - | 13歳 | - | ||
1999年 | 4月 | - | 12歳 | - | ||
1998年 | 12月 | 26日 | 11歳 | - | ||
1993年 | 12月 | - | 6歳 | - | ||
1993年 | 4月 | - | 6歳 | - | ||
1991年 | 8月 | 1日 | 12歳 | - | ||
1991年 | 7月 | 31日 | 12歳 |
中学生になると、いろいろと深くなってくる。声だってそれまでのハイトーンボイス(ATDIのボーカル並み)で怪鳥ロプロスばりの超音波を出していたとしても、渋く深みのある声に…って、そこまではなっていないか。まぁ、いいや、今回は声変わりの話ではないので。閑話休題、本当にいろいろと深くなってくるわけで、脛毛に腕毛に腋毛(もちろんあそこの毛も)、さらにはギャランドゥ。そう、ギャランドゥ(=へそまわりの毛。ただしデタラメ英語)。脛毛と腕毛が濃くなり、腋毛が生えてきたのは嫌だったけど、まぁ、仕方ない。しかし、ギャランドゥが生えてきた時のショックはかなり大きかった。、私は剃ってしまう中一でギャランドゥは少々早すぎなのでは…このままでは胸毛もぼうぼうになりかねないではないか…と。そう思い悩んだあげく私はギャランドゥを含む全ての毛を剃る暴挙に。その結果“生えては剃る”というスパイラルに陥り、私の“体毛”との終わりなき戦いが始まるのであった。
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1991年 | 7月 | 15日 | 12歳 |
かなり消極的な理由で入部した剣道部での生活は…7月の時点ですでにかなり激しく後悔していた。当時、小デブだった私には激しい運動をするのが、すでに拷問だったわけだが、それに加えて防具の臭いとかが半端泣く臭いわけで…。そして何より打ちのめされたのが、運動神経が切れているのか全然上達しない、ということ。一緒に入部した女子(未経験)にも一度も勝てないくらい弱かった(試合稽古で泣かされたこともしばしば…って本当に情けないな、私)。と、こんな惨めな状況にもかかわらず、結局のところ卒業するまで剣道部に在籍することになる。(辞めなかった理由の一つが“剣道着をコスプレ感覚で着ていた”と言うのがある。袴ってちょっとスカートっぽいじゃん…)
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1991年 | 7月 | - | 12歳 |
学校に着くまでに30分ほどかかるので、登下校用にカバンの中には常に漫画や小説が二、三冊入っており、友達に貸したりしていた。当時、私の周りでは久米田康治先生(現在“さよなら絶望先生”をマガジンにて連載中)の“ 行け!!南国アイスホッケー部”が流行り、一時期、友達との会話がほとんど下ネタで占められるようになる。まぁ、下ネタと言っても大人になった今からすると可愛らしいモノばかり。だって、あの坊ちゃん刈りのハナタレ小僧が、まさか“あんなこと”や“こんなこと”をするようになるとは。しかし“こんにゃくに切り目”とか“のびたカップブードル”とか…ほんと探究心ってすごいよね。
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1991年 | 6月 | 1日 | 12歳 |
六月に入り衣替えで夏服となる。うちの中学は男子はYシャツか開襟シャツ。学ランよりは好きだった。ちまに女子はブラウスにリボンにスカート。夏服がセーラー服じゃないのは非常に残念だ。まぁ、どちらにせよ私は着れないのだが…。余談だが、剣道の夏の地区大会で他校に出向いたとき、そこの女子の夏服がセーラー服で、あまりに可愛かったので凝視していまい、露骨に嫌な顔をされてたことが…あの時の冷たい女子の視線がいまだに忘れられない。いまさら言い訳しても仕方がないのだが、もしその凝視して嫌な顔をさせてしまった女子に伝えたいことがある。「決して君に対してエッチな妄想をしていたわけではないんだよ。その、君が着ているセーラー服が着たかっただけなんだ…」と。…もし、あの時にこの言い訳を口に出して言っていた場合(絶対にありえないけれど)、さらに冷たい視線(虫けらを見るがごとく)を浴びることになっていたと思う。
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1991年 | 6月 | - | 12歳 |
中学にはバスで通学していた。過疎化しているのでバスは一時間に一本。逃したら確実に遅刻という、かなりスリリングな環境のため、朝はバタバタすることが多く、一度寝癖を直さないで登校したらちびまる子ちゃんに出てくる“藤木くん(http://www.nippon-animation.co.jp/na/maruko/nakama/fujiki/index.htm)”みたいな髪型だったため、一時期あだ名が“フジキ”になったことも。それからはどんなに時間がなくても、寝癖だけは直すようになる。たとえ遅刻したとしても。
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1991年 | 6月 | - | 12歳 |
私の通っていた中学では、必ず何かの部活に所属しなければいけない学校だった。その頃の私は“運動が大の苦手”だったので(今だって得意ではない)、できることなら運動系はパスしたいところ。そこで文化系の部活を調べてみると“吹奏楽部”“科学部”という二択しかない状況らしいことがわかる。“吹奏楽部”は女の園だったので当時の私ではいささかハードルが高い。と、なると科学部しか残されていないのだが、どうやら“オタクの園”らしいという噂が…。当時すでに隠れアニオタだった私としては(アニメージュを小学5年生の時から購読)問題ないのだが、人の目を気にしてしまい断念。そうなると後は運動系しか残されていないわけで、選択肢としては“軟式テニス”“野球”“陸上”“剣道”の4つ。私は自慢ではないが、ボール扱わしたら右に出る者がいないほど下手(これはボール=自分自身の男性としての大切な丸い物体にたいするメタファー、として無意識下で捉えてしまうため、苦手意識を持ってしまうのが影響しているから…かもしれない)だ。なので“軟式テニス”“野球”はなし。そして、私は走るのも本当に嫌いだった(マラソン大会のたびに仮病使ってサボっていた)。と、なると、もう残っているのは“剣道”しかない。そして、私は意外と「時代劇」が好きだった。と、まぁ、いろいろあって“剣道部”に入部することになる。そのあとの地獄を知っていれば絶対入らなかったであろう“剣道部”に。
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1991年 | 5月 | - | 12歳 |
保育園児時代でのスイーツ依存症(おもにグリコ)の結果、小学生にして総入れ歯とう十字架を背負っていた私も小学校を卒業する頃には永久歯が生えてきて“総入れ歯”の十字架は降ろすことができた(部分的にはまだ入れ歯だったけれど)。だがしかし、そんな私に次なる試練が訪れる。長い総入れ歯生活、正直にいって小学生にして入れ歯はかなり面倒くさく、私はよく入れ歯をするのサボっていた(よく舌を使って入れ歯を外し、口の中で回していた。まぁ、そのおかげで舌使いのレベルは比較的高レベルに達することができたような気がしないでもないが…)。そのためにアゴが縮まってしまい、どうやっても全部の歯が生えそろわなくなってしまったのだ。結果何本かの永久歯を間引くことになり、さらには歯科衛生士の「お子さんのためを考えたら、歯の矯正を考えられた方が良いかもしれません、少し出っ歯気味ですし…」という口車に乗せられた母ナオコによって歯の矯正を受けることになった。私と歯医者との戦い、第二ラウンドの幕明けである。
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1991年 | 4月 | 21日 | 4歳 | - | ||
1991年 | 4月 | - | 12歳 |
中学に入って最初の危機は身体測定だった。理由はパンツ。「自分の下着姿を他の男の子の前で晒すなんて…恥ずかしい」と言うような乙女チックな理由…ではなく、「やばい…おれ、ブリーフしかもってない!」という理由で。だって、小学生まではブリーフだった同級生が、こぞってトランクス派に転向していたんですもん。その情報を身体測定前日に聞いた私は悩んだ。これから母ナオコに頼んだとしても、さすがに前日では無理だ。相談するのだって恥ずかしいので、できるなら自分1人で解決したい、と考えた私はならば!と言う事で父のトランクスを拝借することにした。柄は鯛柄で「大漁!」と書かれたトランクス。翌日からしばらくあだ名が「ガラパン」になった。
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1991年 | 3月 | - | 12歳 | - | ||
1991年 | 3月 | - | 12歳 | - | ||
1991年 | 1月 | - | 11歳 | - | ||
1990年 | 12月 | - | 11歳 | - | ||
1990年 | 11月 | - | 11歳 | - | ||
1990年 | 10月 | - | 11歳 | - | ||
1990年 | 9月 | - | 11歳 |
往復ビンタのあと、クラスでのイジメは表面上はおさまったが、裏ではより陰湿なイジメが展開され始める。昨日までイジメる側にいた者が、今日はイジメられる側に。いつ自分が標的になるか、わからない状況。小学六年生でカツアゲ、万引き。体育館のステージの天井に登って床をぶち抜いて落ちかける。体育館のステージの床下で喫煙し、ぼや騒ぎをおこす、さらには体育館のステージの床下で…ここでは言えないような事までおこなう。「お前らは何故そんなに体育館のステージが好きなのか?」と聞きたくなるようなことを繰り返す。また、学校外では、橋の下に秘密基地(ここら辺は年相応)を作り活動。農家の者が自宅の農耕機用の軽油やガソリンを盗み、火炎瓶などを作ったり、原動機付き自転車を乗り回したりしていた。
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1990年 | 7月 | - | 3歳 | - | ||
1990年 | 4月 | - | 11歳 |
先生を登校拒否に追い込んでしまったため危険クラスとみなされ、六年生の時は学校で一番厳しい先生が担任になる。それでもイジメはなくならず、ターゲットを変えて(今度は女の子だった)続いていたため、業を煮やした先生がクラスの男子全員をビンタすることになったのだが、私はビンタされる寸前、避けてしまい、結果一人だけ往復ビンタをもらうハメになった。まさに自業自得。避けてしまった理由はちょっとした反抗心「辛いのはその子だけじゃない。僕だって辛かったんだ」という気持ちがあったからだろう。そう思いながらビンタされた後、先生の顔を見たら泣いていた。殴られた方も痛いが、殴った方も痛い。身体も心も。さすがに「親父にもぶたれたことないのに」とは言えなかった。
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1990年 | 1月 | - | 10歳 | - | ||
1989年 | 12月 | - | 10歳 | - | ||
1989年 | 9月 | - | 10歳 | - | ||
1989年 | 6月 | - | 10歳 | - |