ohkawa

食べ過ぎ・KY・汗っかき・義理堅い。中2な世界をファンタゴールデンアップルでメローイエローに表現するサブカル野郎Aチーム。ヨレヨレの染み付きTシャツを汗でベトつかせるoh!kawaの発汗。京都・大阪・神戸の三都物語を歌う「谷村新司」。けどなんで兵庫じゃなくて神戸なのかを疑問に持ち続ける。30歳特有の中途半端感とリアルにオールがキツイ感を体現している、どこにでも居る平成の富永一朗。

年 ▲ できごと 写真
1979年 4月 22日 0歳
4200グラムの巨大赤ん坊で産まれる。母は体中の毛細血管が切れたとか。上に姉が2人で、ようやく産まれた男って事で多方面から可愛がられた様子。とにかくデカイ赤ん坊だったから「ジャンボ君」と言われる。 #   ★ 0
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1982年 - - 2歳
あめ玉を喉に詰まらせて、生死を彷徨う。たまたま来ていた親戚のおばさんが知恵袋的な方法(確か片腕をあげさせて喉を広くさせる)で一命を取り留める。 #   ★ 0
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1982年 4月 - 2歳
保育園に行き始めるが、全く馴染めず毎日泣いてばかりだった様子。昼寝とかがどうもダメだったらしい。よって途中で辞めた。 #   ★ 0
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1983年 4月 - 3歳
幼稚園に入園。自由な園風が肌に合ったようで、結構楽しい思い出多し。銀杏を焼いて食べたり、缶蹴りをしていた。 #   ★ 0
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1984年 - - 4歳
台所で高い所から包丁が落っこてきて指をザックリ切る。病院に泣きながら行った記憶あり。 #   ★ 0
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1984年 - - 4歳
母の運転する自転車で通園中、病院の前でトラックと接触事故。当然目の前の病院に運ばれる。 #   ★ 0
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1984年 5月 - 5歳
自分と打って変わって、1キロもない超未熟児で妹誕生。女3人男1人の肩身の狭い4人兄弟編成に。 #   ★ 0
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1985年 - - 5歳
キン消し(キン肉マン消しゴム)の欠片を耳の中に入れてしまい取れなくなり、親に黙っていたところ数ヶ月気付かれないままに。(本人も忘れる。)ある日発覚し大騒ぎになり耳鼻科で無事取り出される。 #   ★ 0
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1986年 - - 6歳
日曜日、自宅の工場にあるベルトコンベアにスイッチを入れ、腕を巻き込まれる。救急車、レスキュー隊が来る大騒ぎに。確か打撲。 #   ★ 0
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1986年 4月 - 6歳
地元の小学校に入学。隣の女の子に初日からおせっかいをやかれた記憶あり。 #   ★ 0
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1986年 6月 - 7歳
自宅下にある事務所の硝子扉に自転車で突っ込んで硝子を割る。この時は怪我は無し。 #   ★ 0
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1987年 - - 7歳
スイミングスクールに通うも、友達と遊びたくてプールに行くフリをして友達と遊ぶ。証拠隠滅のために海水パンツや自分の頭を公園の水道で濡らして帰宅。しかし近所のおばちゃんに密告され、こっぴどく怒られる。 #   ★ 0
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1987年 - - 7歳
親の財布からお金を拝借し、友達同士でミニ四駆を買ったりして豪遊。速攻バレてこっぴどく怒られる。 #   ★ 0
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1988年 8月 - 9歳
姉2人も中学受験をしていたため、当然の如く自分も。この頃から進学塾に通い始める。しかし基本的にバカ。常に一番レベルの低いクラス。 #   ★ 0
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1989年 - - 9歳
しかしながら、塾は学校より進んだ内容だっったので学校での成績は優秀。 #   ★ 0
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1990年 4月 - 10歳
5年生になり徐々に塾で忙しくなり友達と遊ぶ時間が少なくなる。しかし成績も良く賢くみられたのか級長を任される。 #   ★ 0
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1990年 5月 - 11歳
5年生から参加できる校内のブラスバンドクラブみたいなのに何となく参加しトランペットに挑戦。友達は飽きて辞めていき男が自分一人。しかし何か辞める気にもなれずに卒業まで毎朝練習に参加した。「剣の舞」とかやった。 #   ★ 0
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1990年 11月 - 11歳
柴犬を飼い始める。ハウンドドックのファンの姉の要望で「康平」と名付ける。しかしまったくオレの言う事は聞かなかった。 #   ★ 0
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1991年 - - 11歳
姉の影響で音楽が好きになる。当時のバンドブーム的なものが好きだった。ユニコーン、たま、ジュンスカ 等々。この時期初めてCD(いやカセットだったかな?)を買う。ジュンスカのアルバムと川村かおりの「翼をください」 #   ★ 0
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1992年 - - 12歳
この頃から、何故か深夜ラジオにハマり出す。サブカル的な笑いを好む様になる。毎晩腹がよじれる程笑い転げた。 #   ★ 0
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1992年 2月 - 12歳
第一志望には落ちたものの、滑り止めの中学には合格。晴れて受験戦争から解き放たれる。 #   ★ 0
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1992年 4月 - 12歳
千葉の中高一貫の男子校に入学。全科目の先生が体育教師かと思われる程の鬼のように厳しい学校。鉄拳制裁当たり前。 #   ★ 0
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1992年 5月 - 13歳
流行に乗りバスケ部に入るも鬼よりも鬼な顧問にしごかれ、夏で退部。 #   ★ 0
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1993年 - - 13歳
しかし受験で解き放たれ過ぎて、気が抜けて成績は後ろから数えた方が早かった。 #   ★ 0
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1993年 8月 - 14歳
ハウンドドッグの熱狂的なファンの姉に連れられて、ハウンドッグの野外ライブに。この時にバンドの素晴らしさを目の当たりに。 #   ★ 0
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1994年 4月 - 14歳
中3。この時同じクラスになったメンバーとは30歳の今でも頻繁に遊ぶ。もはや15年来の中である。 #   ★ 0
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1994年 8月 - 15歳
周りでバンドを組むのが流行出す。ボーカルをやる程の華もなく、かと言ってギターは既にやっている奴が多く、ドラムをやれる程器用でもない。消去法であまり人気のないベースを選択。 #   ★ 0
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1994年 9月 - 15歳
帰宅部野郎だったので、毎日自宅でベンベンベンとベースの練習。 #   ★ 0
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1994年 10月 - 15歳
帰宅部で暇そうだったオレを見て、担任が「文化祭で女装コンテストがあるから出れば?」と言われ出場。見事優勝。テレビを貰う。 #   ★ 0
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1995年 4月 - 15歳
附属なのでスルっと高校生。(とかいって実は結構ギリギリだった。相変わらずバカ。) #   ★ 0
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