できごと 写真
1998年 - - 18歳
フラカンにであう。 #   ★ 0
minobandreki
-
1997年 - - 24歳
当時の会社の後輩からリッケンバッカーを譲り受ける。もらったときはそんなに良いベースだとは知らなかった。シリアルナンバー入りの本物。RRHでコイヅカ氏に直してもらうまでは現役復帰ならず。 #   ★ 0
taka 場所:東京都 葛飾区
1996年 4月 - 24歳
バブルも弾けきった時期に2回も留年してるようなヤツがそうそうもぐりこめる企業もないだろうと決め付け、ほとんど就職活動していなかったが、うっかり地元の近所で職が見つかってしまう。 #   ★ 0
uddzura
-
1996年 - - 23歳
当時の会社の先輩にZo-3を譲り受ける。これでギターの初歩的なことを覚えた。福井に出張に行っていて、出張先で貰った。2008年に知人に譲るまで何かと重宝した。 #   ★ 0
taka 場所:福井県
1995年 4月 - 23歳
なんとか卒研をとるところまで進学。 水質分析がメインだが ぬるい卒研室のため分析そのものよりサンプル水採取という名目の渓流釣りや阿武隈洞散策がメイン #   ★ 0
uddzura
-
1995年 - - 22歳
バンドモノ小説『REFRAIN』執筆。かっとなってやった。反省している。 #   ★ 0
taka
-
1995年 - - 22歳
ドリカム事件発生。K.S嬢を好きになるが、彼氏付だった。詳細は割愛するが、様々な紆余曲折の後、その後約7年程引きずることに……。この頃にTHE BLANKEY JET CITY、D.T.Rにハマる。 #   ★ 0
taka
-
1995年 - - 22歳
好きな人もできず、バンド活動もせず、の年月が続く。 #   ★ 0
taka
-
1994年 3月 - 21歳
留年(2回目)決定 母親に泣かれる #   ★ 0
uddzura
-
1994年 - - 21歳
兄者という渾名の兄弟分の親友に白ベースを譲り受ける。2002年に兄者が亡くなり、形見になった。 #   ★ 0
taka 場所:東京都 葛飾区
1994年 - - 21歳
ドラムを叩くことになる。現・ZCREWリーダーである淳をギタリストに加入。 Vo.新井洋次、G.山崎達也、G.淳、B.山村大輔で、SKID ROW / I REMEMBER YOU、ZIGGY / WISKY,R&R AND WOMENのコピー。THE KING OF FIGHTERS'94発売。専門学校卒業以降かなり良いフンイキだったS.A嬢に振られる。 #   ★ 0
taka
-
1993年 12月 - 21歳
初の転職。ADから公安関係の工事会社へ。専門学生時のバンド活動はほぼ停止。 #   ★ 0
taka
-
1993年 3月 - 20歳
専門学校卒業。ADに。これと言った思い出はないが、バンドは辛うじて続けていた。練習に身が入らないので、Dr.猪俣貴雄をスタジオに呼ばなくなる。 #   ★ 0
taka
-
1993年 3月 - 20歳
留年決定(1回目) 母親に激怒される #   ★ 0
uddzura
-
1993年 - - 20歳
小説としては処女作『壊れかけの夏』を執筆。情けもあるだろうけれど、おおむね高評価を頂いた。 #   ★ 0
taka
-
1993年 - - 20歳
恐らくこの頃にSEPIA ZZのエンジンが焼きつく。キックレバーもガチガチで動かないほど。27000km程乗りました。いやぁ長生き。中古でSUPER JOG Zを購入。 #   ★ 0
taka
-
1993年 - - 20歳
ライブのMCで対バンのボーカル(仲良し)の性癖について語ったら、そいつのファンの女の子にグーで殴られ鼻血を出したまま演奏 #   ★ 0
uddzura
-
1992年 10月 - 19歳
専門学校の文化祭。人生初ライブ。音響科のY.Y嬢という好きな子の目の前で赤っ恥。Bonjovi / Livin' On A Prayer JUDAS PRIEST / METAL GOD Mr.BIG / To be with you MOTLEY CRUE / KICK START MY HEART ZIGGY / Don't stop Believing COMPLEX / Pretty Doll BUCK-TICK / 悪の華 というカオスなセトリ。 #   ★ 0
taka 場所:新宿区 百人町
-
1992年 9月 - 19歳
Vo.飯塚充洋が降りる。次Vo.として新井洋次が加入。ライブ一週間前だった。バンド名をPLAGUESにしよう、という話があったが、浸透しなかった。既存バンドがいたことは知らなかった。 #   ★ 0
taka
-
1992年 8月 - 19歳
Vo.渡辺晃がバンドを降りる。次Vo.として飯塚充洋が加入。 #   ★ 0
taka
-
1992年 1月 - 19歳
成人式は地元に帰らず郡山で出席。 ダブルのライダースで出席するという若さゆえの痛さを存分に発揮 #   ★ 0
uddzura
-
1992年 - - 12歳
中学生のころ。和太鼓クラブにはいる。太鼓はすきだったが、振動で嘔吐。 #   ★ 0
minobandreki
-
1991年 8月 - 18歳
洋楽に目覚める。METALLICA JUDAS PRIEST IRON MAIDEN というメタルから、MOTLEY CRUE GUNS 'N' ROSES Bonjovi Mr.BIG AERO SMITH SKID ROW というLAメタル系へ。邦楽はこの頃にZIGGYにハマる。 #   ★ 0
taka
-
1991年 6月 - 19歳
大学からアパートまで一人で帰っていると、いきなり後ろから「加藤ってダムドとか好き?」と声をかけられる。  話したことのない同じ学科の池田だったのだが、初めて出来たサークル以外で音楽の話が出来る友達 #   ★ 0
uddzura
-
1991年 4月 - 18歳
相棒・大輔との出会い。専門学校に入学していきなりメタリカのコピバンに誘われる。マスターオブパペッツにチャレンジするも、挫折。Vo.渡辺晃、G.山崎達也、G.山村大輔、Dr.猪俣貴雄。 7月あたりに好きだったK.T嬢が学校を辞める。デートの約束をしてたのにそのまま連絡が取れなくなる。学校辞めるほどキライだったかー。 #   ★ 0
taka
-
1991年 3月 - 18歳
ただの一度もライブをせずに高校卒業。 コピーした曲はB・BLUE NO.NEW YORK RAIN IN MY HEART 歩いて行こう 悪の華 くらいだと思う。 #   ★ 0
taka
-
1990年 8月 - 18歳
夏休みに高校時代の友達が郡山に遊びに来る。 駅前ではしゃぎすぎて泥酔して電柱に登ってるところを、お巡りさんではなく職業チンピラの方々に捕獲される。 中学生同士、高校生同士の喧嘩でなく、明らかに立場の違う方々からの暴力は本気で怖かったです。 トラウマでしばらく駅前に行けない #   ★ 0
uddzura
-
1990年 5月 - 18歳
サークルの友達や先輩とばかりつるんで居たため、同じ学科の同級生に友達がなかなか出来ない。 名前でなく「金髪のアロハの人」と言う覚え方をされていた #   ★ 0
uddzura
-
1990年 - - 17歳
WinkとXにドハマリする。 #   ★ 0
taka
-
1990年 - - 17歳
初バンドを組む。Vo野中明睦、G.山内祐司、Key.中村英雄、Dr.中島淳也。当時きたがわ翔のNINETEEN 19という漫画でヒロインだかがヒステリックピンクというバンドを作中で組んでいて、僕らは男だから、という理由でヒステリックブルーにしよう、という話があった。十数年後、本物のヒステリックブルーが出てくるとはこの時の彼らには知るよしもなかった。 #   ★ 0
taka
-