Yo43

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できごと 写真
2002年 11月 - 12歳
演劇で主役のカッパを熱演。 #   ★ 0
おおむら 場所:橘小
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2002年 10月 15日 23歳
北朝鮮から拉致家族帰還 #   ★ 0
udonbaka
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2002年 5月 30日 23歳
日韓ワールドカップ。トルシエ監督。ベスト16でトルコに敗退。優勝ブラジル。 #   ★ 0
udonbaka
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2002年 4月 1日 23歳
ゆとり教育スタート #   ★ 0
udonbaka
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2002年 1月 2日 23歳
ユーロ流通開始 #   ★ 0
udonbaka
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2002年 1月 1日 23歳
【個人】 部署異動。昇進 #   ★ 0
udonbaka
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2002年 - - 11歳
訳もなく猿の調教師になりたかった。 #   ★ 0
おおむら 場所:橘小
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2001年 12月 23日 22歳
アルゼンチン、対外債務デフォルト。 失業率20%、経済成長率マイナス11%、インフレ率40% #   ★ 0
udonbaka
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2001年 9月 11日 22歳
米、同時多発テロ。アフガニスタン侵攻 #   ★ 0
udonbaka
2001年 8月 - 22歳
YahooADSL発表 #   ★ 0
udonbaka
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2001年 4月 26日 22歳
小泉純一郎、首相就任 #   ★ 0
udonbaka
2001年 1月 20日 22歳
ジョージ・W・ブッシュ、米大統領就任 #   ★ 0
udonbaka
2001年 1月 1日 22歳
【個人】 個人事業断念(1月)。イギリス・フランス・イタリア(2月)。就職失敗、コールセンターの派遣社員(4月)。 #   ★ 0
udonbaka
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2000年 - - 9歳
お笑い芸人になりたかった。 #   ★ 0
おおむら 場所:橘小
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1998年 - - 7歳
パラレルレア(初期)の遊戯王をだましとられる。 #   ★ 0
おおむら
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1998年 - - 7歳
初めてエロ本を読む。このとき自慰を覚える。 #   ★ 0
おおむら 場所:家
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1998年 - - 7歳
手癖が悪くなる。でもまだこのときの金額は可愛かった。 #   ★ 0
おおむら 場所:家
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1997年 6月 - 6歳
名前忘れたけど六年生のねーさんが好きでたまらんかった #   ★ 0
おおむら
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1997年 - - 6歳
兄と同じスイミングスクール的な物に通う。 #   ★ 0
おおむら
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1997年 - - 6歳
おかんが兄の教科書を破る(燃やす) ランドセルを庭に投げる スーファミを庭に投げる あの頃のおかんはがちで鬼畜だったと思う。 #   ★ 0
おおむら 場所:家
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1994年 - - 3歳
幼稚園バスの前の席に憧れる。 #   ★ 0
おおむら 場所:ルンビニ幼稚園バス
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1992年 10月 12日 2歳
社宅から飛び出し茨城にうつる。もし知性があったならば反対してただろうに。 #   ★ 0
おおむら 場所:茨城 小川 やまの
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1991年 12月 2日 0歳
生まれる #   ★ 0
Yo43
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1991年 10月 12日 0歳
へその緒が首に二周半していて窒息死寸前のところで生まれる #   ★ 0
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1991年 8月 1日 12歳
八月といえば夏。夏といえば海とプール。プールについては…この時点では正直なところ、あまり抵抗感はなかった。ただ、わりとぽっちゃり体型だったので胸に脂肪がついていて、それを見られるのが少しだけ恥ずかしかった。その他は男子の裸を見て、すごく興奮するというわけでもないので(今も視覚的な部分では興奮しないな)わりと普通にプールを楽しんだ。海は日焼けすると大変なことになるので(それこそ火傷並みに酷いことになる)あまり遊びには行かなかった。 #   ★ 0
1co 場所:一番近いコンビニまで車で30分
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1991年 7月 31日 12歳
中学生になると、いろいろと深くなってくる。声だってそれまでのハイトーンボイス(ATDIのボーカル並み)で怪鳥ロプロスばりの超音波を出していたとしても、渋く深みのある声に…って、そこまではなっていないか。まぁ、いいや、今回は声変わりの話ではないので。閑話休題、本当にいろいろと深くなってくるわけで、脛毛に腕毛に腋毛(もちろんあそこの毛も)、さらにはギャランドゥ。そう、ギャランドゥ(=へそまわりの毛。ただしデタラメ英語)。脛毛と腕毛が濃くなり、腋毛が生えてきたのは嫌だったけど、まぁ、仕方ない。しかし、ギャランドゥが生えてきた時のショックはかなり大きかった。、私は剃ってしまう中一でギャランドゥは少々早すぎなのでは…このままでは胸毛もぼうぼうになりかねないではないか…と。そう思い悩んだあげく私はギャランドゥを含む全ての毛を剃る暴挙に。その結果“生えては剃る”というスパイラルに陥り、私の“体毛”との終わりなき戦いが始まるのであった。 #   ★ 0
1co 場所:一番近いコンビニまで車で30分
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1991年 7月 15日 12歳
かなり消極的な理由で入部した剣道部での生活は…7月の時点ですでにかなり激しく後悔していた。当時、小デブだった私には激しい運動をするのが、すでに拷問だったわけだが、それに加えて防具の臭いとかが半端泣く臭いわけで…。そして何より打ちのめされたのが、運動神経が切れているのか全然上達しない、ということ。一緒に入部した女子(未経験)にも一度も勝てないくらい弱かった(試合稽古で泣かされたこともしばしば…って本当に情けないな、私)。と、こんな惨めな状況にもかかわらず、結局のところ卒業するまで剣道部に在籍することになる。(辞めなかった理由の一つが“剣道着をコスプレ感覚で着ていた”と言うのがある。袴ってちょっとスカートっぽいじゃん…) #   ★ 0
1co 場所:一番近いコンビニまで車で30分
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1991年 7月 - 12歳
学校に着くまでに30分ほどかかるので、登下校用にカバンの中には常に漫画や小説が二、三冊入っており、友達に貸したりしていた。当時、私の周りでは久米田康治先生(現在“さよなら絶望先生”をマガジンにて連載中)の“ 行け!!南国アイスホッケー部”が流行り、一時期、友達との会話がほとんど下ネタで占められるようになる。まぁ、下ネタと言っても大人になった今からすると可愛らしいモノばかり。だって、あの坊ちゃん刈りのハナタレ小僧が、まさか“あんなこと”や“こんなこと”をするようになるとは。しかし“こんにゃくに切り目”とか“のびたカップブードル”とか…ほんと探究心ってすごいよね。 #   ★ 0
1co 場所:一番近いコンビニまで車で30分
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1991年 6月 1日 12歳
六月に入り衣替えで夏服となる。うちの中学は男子はYシャツか開襟シャツ。学ランよりは好きだった。ちまに女子はブラウスにリボンにスカート。夏服がセーラー服じゃないのは非常に残念だ。まぁ、どちらにせよ私は着れないのだが…。余談だが、剣道の夏の地区大会で他校に出向いたとき、そこの女子の夏服がセーラー服で、あまりに可愛かったので凝視していまい、露骨に嫌な顔をされてたことが…あの時の冷たい女子の視線がいまだに忘れられない。いまさら言い訳しても仕方がないのだが、もしその凝視して嫌な顔をさせてしまった女子に伝えたいことがある。「決して君に対してエッチな妄想をしていたわけではないんだよ。その、君が着ているセーラー服が着たかっただけなんだ…」と。…もし、あの時にこの言い訳を口に出して言っていた場合(絶対にありえないけれど)、さらに冷たい視線(虫けらを見るがごとく)を浴びることになっていたと思う。 #   ★ 0
1co 場所:一番近いコンビニまで車で30分
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1991年 6月 - 12歳
中学にはバスで通学していた。過疎化しているのでバスは一時間に一本。逃したら確実に遅刻という、かなりスリリングな環境のため、朝はバタバタすることが多く、一度寝癖を直さないで登校したらちびまる子ちゃんに出てくる“藤木くん(http://www.nippon-animation.co.jp/na/maruko/nakama/fujiki/index.htm)”みたいな髪型だったため、一時期あだ名が“フジキ”になったことも。それからはどんなに時間がなくても、寝癖だけは直すようになる。たとえ遅刻したとしても。 #   ★ 0
1co 場所:一番近いコンビニまで車で30分
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